東京にいる頃は未来ばかり考えていました。
御代田に住むようになってからは、未来より、過去を考えることが多くなりましたね。
移住により、多くをリセットすることになりましたし、御代田で1からスタートすることばかり。
かなりコンパクトではありますが、人生のやり直しをシュミレートできるのです。
東京にいたとしても、「退職」でかなりリセットされますが、住んでいる環境や、仕事以外の人間関係は変わらないでしょう。
すごい勢いで、こちらでの新しい人間関係が始まりました。
むろん、圧倒的にテニスでの出会いが多く、それを軸にテニス以外へも広がり、東京の友人たちともそのまま続いている人たちが多く、近所に住む人たちとの関係がいくつか(その場合、このプログを読んでというつながりがある人も)
幸運なことに、目上、年配の人からは目をかけてもらえ、同年・年下・女性からは好意的に接してもらえているなあ、と感じます。
子供のころから、シャイな性格だったので、自分から関係を作るのは苦手でしたが、どの年代の時代でもだれかしら目をかけてもらえました。
でもその頃は、そのことがすごくありがたいことだと意識できないでいました。(経験不足だったから?)
何かしら印象に残るタイプだったからかな、と振り返って思います。変わったことを考えたり、行動したり、突飛なことが多かったですね。
音楽もそうですが、学園祭で同級生のひとりを誘って、漫才を学校の講堂で披露したことがあります。なんで、そんなことをしてみようと思ったのかは思い出せませんけど。
台本は、オリジナルで私が書きました。内容は覚えてませんが、先生のことを題材に。多分、先生の特徴か何かをまねして見せた。
これは、生徒よりも、先生たちの間ですごい話題になり、色々な先生から質問された記憶があります。
それだけではありません。
いつも、何か、印象に残ることをしてました。
目立ちたいという気持ちはありませんでした。
やりたいと思うことをやると、そうなったのです。
ただし、優秀なこと、人並み優れたことではありませんでしたので、尊敬されるポジションではありませんでした。
あ、ひとつかふたつはあります。
小説を書くことと、楽器演奏ができたこと。
軽井沢・御代田での出会いで、ほとんどの人から好意的に受け入れてもらえている感じがして、失敗して嫌われたらいやだなとは考えることもありますが、おおむね、快適な毎日です。
(もしかしたら、このプログを見てる人もいるかと)
膝を病んだことでは、それこそ、何十人ものひとたちからアドバイスや励まし、心配をしてもらいました。
たくさん、よい病院・先生、効果のありそうな膝保護器具を教えてまれました。
よい関係がほとんどなのですが、それでもどうしても苦手なタイプもいます。(先祖をひどい目にあわせた、その情報がDNAに記憶されているからかも)
器用ではないので、苦手な人と、気持ちよく会話することはなかなかできません。なんとなく、壁を作ってしまいます。
タチの悪い近隣者は、数少ない、嫌な相手です。
こちらから仕掛けたわけではないし、嫌がらせされ弱いいじめられっ子のような態度をとるつもりもない。
ああいう人って、自分がしていることをふと、不本意だと思ったりしないのでしょうか。
強烈なコンプレックスがあり、それがエネルギー元なのでしょう。
遠回しの八つ当たりです。
特異な暗キャラであることは、ちょっと見るだけで散見。
まあ、そういうこともありますが、それは大したことではありません。
とうもろこしが日々成長。